社長の夢
少し前に書きました
大昔の話ですが
私がまだ一般人の顔で会社勤めをしておりました頃
その会社は
当時60才の社長が40代半ばで脱サラをして
わずか15年足らずで年商30億を超える専門商社
としては 業界でも一目置かれる存在にありました
60才の社長の下 ナンバー2の専務は50代前半
営業部長にあっては40才を過ぎたばかり
そのほかの社員は 専門学校出たての新入社員を含め
平均年齢30才に満たない若い力が集まった
独特の活気と緊張感がありました
一方で
絵に描いたようなワンマン社長でしたから
専務と言えど 自分の裁量で自由になる「経費」も
なく 各部署ごとに長が置かれていても すべては
トップダウンが原則でした
最初 仕入れと売り上げの入力管理のオペレーター
として配属された経理部の部長は 社長の三番目の
奥さんで まだ3才になったばかりの一人娘さんが
いました
バブルが完全に弾け飛んだあとの壮絶な不景気に
あって 1ドル78円など とんでもない円高が
続くなか 元より地道かつ吝嗇な社長の経営理念
が功を奏したのか 他方が倒産などの憂き目に遭
う中 この会社にあっては まずまず売り上げ的
にも良好にあったのですが
つまずきの始まりは
それまでの50坪ほどの事務所を 一気に二倍の
広さにある別所に移転したときからです
それまでは2フロアに分かれていたものを
1フロア100坪の物件へ移したのですが
社長曰く 「広い1フロアが夢だった」と
至極 上機嫌で
新年早々の大雪の中 わざわざ神田から神主さんを
呼んでの事務所開きをしたまでは良かったのですが。
移転から2か月と経たないときに
創設メンバーで重要な海外メーカーとの窓口で責任
者にあった専務が突然の腹痛で病院へ向かうタクシー
の中で腹膜破裂となって長期入院に普段は物静かな
がら 抜群の営業力で主要取引先の殆どを仕切って
いた営業部長が持病のヘルニア悪化から3か月に渡
る休職を余儀なくされるなど
事務所移転後の半年間は 1オペレーターに過ぎな
い私にも 日を追うごとの業績悪化が分かるほど
でしたから
若く元気だった社員たちも 自然とうな垂れるよう
になりました
創業以来 最悪の売り上げと言って
会計士相手に怒鳴り散らしながらも
社長の夢は まだ続いていました
先崎愛海